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はんだの歴史

製茶の創業

文化12年(1815)

茶業を創業する。(十代 武平衛満該)

茶業を創業する。(十代 武平衛満該)

狭山茶の輸出第一号

明治8年(1875)

海外輸出を目的に「狭山製茶会社」を設立する。(十二代 武平満義)茶をニューヨークへ輸出する。茶のはんだパッケージラベルに「SAYAMA」と明記して輸出しました。この地域で生産されるお茶は、「河越茶」と呼ばれていましたが、1800年中旬頃から生産地域が拡大されるに従って地域の主要産業となり、「狭山茶」ブランドとして認識されるようになったと言われています。

平成21年2月
社団法人 全日本煎茶道連盟「煎茶道 二月号」に掲載。

茶のはんだパッケージラベルに「SAYAMA」

表彰の歴史

明治10年(1877)

第1回内国勧業博覧会にて出品した狭山茶が最高位を受賞。

明治33年(1900)

パリ万国博にて出品した狭山茶が「大賞牌」受賞。

明治39年(1906)

十二代 武平満義、狭山茶の改良・殖産の振興の功により「緑綬褒章」を受領。

大正11年(1922)

十三代 武平翠軒 地元の自治活動への貢献を認められて「藍綬褒章」を受領。

昭和4年(1929)

繁田千代 「天皇賜盃」受領

第1回内国勧業博覧会にて出品した狭山茶が最高位を受賞。

繁田家の社会貢献活動

明治26年(1893)

私立「製茶伝習所」を設立し、狭山茶の改良に尽くす。

明治33年(1900)

13代当主・武平(翠軒)、豊岡町(現在の入間市)町長に就任。

入間市博物館、特別展「入間を創った人たち」にて紹介されました。

繁田武平(翠軒)
明治33年(1900)

13代当主・武平、黒須銀行を設立。茶のはんだ顧問に渋沢栄一氏を迎えて設立された黒須銀行は、昭和35年まで営業。道徳を基本とする経営をめざしたことから「道徳銀行」とも呼ばれ、企業倫理を重視するこの姿勢は、現在まで脈々と受け継がれてきました。渋沢栄一氏の手になる「道徳銀行」の扁額は、今でも、りそな銀行本店の応接室に飾られています。

黒須銀行本店
大正14年(1925)

13代当主・武平、豊岡大学を開校。茶のはんだ大正12年(1923)に社会教育の殿堂として豊岡公会堂を建設した武平(翠軒)は、2年後に豊岡大学を開校。ここでは、年齢・学歴を問わず、誰でも1円で勉強することができました。第一回の政治学の講師は犬飼毅氏。その後も浜口雄幸氏、尾崎行雄氏、新渡戸稲造氏などなど各界を代表する当時の名士が講師として招かれ、教育にあたっています。

豊岡公会堂
大正15年(1926)

保育園「豊岡保育園」を開園。青壮年教育と同時に幼児教育の重要性を説いた翠軒は、「豊岡保育園」を開園。翠軒の義妹・くらが園長となり、町民の子弟の幼児教育に力を尽くしました。

宮内庁御用達

大正13年(1924)

石神井製茶所創立

石神井製茶所創立
昭和3年(1928)

宮内庁御用達となる。 赤坂離宮御苑(現在の迎賓館)の茶畑から収穫された茶を原料に、御茶「鳳苑(ほうえん)」の謹製。

赤坂離宮御苑
玉の露
「鳳凰」製造の由来