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新茶道・狭山流

「狭山流(きょうざんりゅう)」は、12代当主・武平満義の六男、繁田百鑒斎(本名金六。霞山、狭山茶人とも号す)が考案した茶式の流派で、昭和8年(1933年)ごろより始められた「繁田式お茶の会」が原型となっています。

そもそも、お茶は中国で薬用として飲み始めたもの。日本臨済宗の祖であり日本の茶祖ともいわれる栄西禅師も、その著「喫茶養生記」でお茶の薬効を記しています。おいしいお茶とは、味と香気が深いということで、つまり薬効も高いということなのです。

百鑒斎の提唱した「新茶道」は、こうした薬効まで含めて、お茶を知り尽くした繁田家の人ならではの茶式でした。「いかにおいしく飲むか」にこだわり、お茶を科学的に知ることで味や香りをよりよく引き出そうとするもの。お手前はあくまでもおいしくお茶を飲むための手段であり、礼式作法や名器の鑑賞などに偏りがちだった旧来の茶道と対照をなすものです。

百鑒斎は、誰にでも簡単に習得できる茶式やテーブル席でのお茶会など新しいライフスタイルに合った茶道を創造する一方で、器にもこだわりました。昭和10年(1935)には長崎県雲仙に居を移し、「雲仙焼」を創始。煎茶椀、抹茶椀、番茶碗など、お茶の特性に合わせたお茶を主役とした器を作陶しました。





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